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これが昨日書いたふさいで頃に考えていた痛バ(案)です。
c/wが2018年夏の本であることにびびりました。そんな前なの…。
当時から同人誌の更新(?)が止まる日もいつかは来るだろうなあとは思っていて、だからこそ推せるときに推そう!とめいっぱい楽しんでいたのを思い出して懐かしい気持ちになりました。
同人誌もこばなしも本当にひたすら先生方のご厚意によって生み出されていたもので、いつ止まってもおかしくなかったのに5年も続けてくださったことに感謝を忘れてはいけないなあと思います。
あの頃はもちろん楽しかったですけど、新しいフィールドも楽しいし、根本的なところでは案外変わらないなあというのがこの1年の素直な実感です。

ツイッターをさまよっていると、先生のBLないしイエスノーの新作を求める声を時々見かけます。
気持ちは分かるのですが、そもそも読者って「読みたいものを読む権利」なんて持ってないよ〜!とも思います。
出版社が著者に「こういうの…」とオーダーすることはあっても、読者が著者にオーダーするのはなんというか、そうじゃないと思うんです。というかあってはいけない、というか。
そりゃわたしだって若宮家読みたい!とかあきそのちゃん読みたい!とか、めちゃくちゃ思ってるしお手紙に書いたこともあるので伝えたことあるな……………と思い返して猛烈に反省していますが、なんていうか、望んだものを手にしたいと思うようになったらしんどいからやめた方がいいです。
読みたいものを読めたら幸せなの、イエスノーを追いかけてたから誰よりも分かるつもりです。でも、あれって普通じゃないんですよ。需要と供給の奇跡のマッチングを、先生お二人が起こしてくれていただけなんです。上にも書いたけど、本当にご厚意によってわたしのようなオタクは生かされていただけです。
イエスノーにカップリングが増えてモヤモヤしてしまった過去のわたしと、文芸のお仕事が増えてもBL読みたいのにと思っている人たちは、たぶん同じような気持ちなのではと推察します。取り分が奪われたような気持ちじゃないかなと。
商業と同人を同様に語るのは不適切かもしれませんが、でも商業であっても同人であっても、読みたいものを読む権利なんて誰もがもっていませんし、もってはいけないものだと思います。(担当編集さんは除く)
取り分は奪われていない、というか別にだれも元々持ってなかったんですよ。与えられているもののありがたさに気づいてなかっただけで、それを当然と思った時から地獄の始まりです。
好きなものを与えられるかどうかじゃなく、選び取ったものを好きかどうか、しか読者は判断しちゃいけないです。それが読者の全てです。

BLしか好きじゃなかったり、文芸しか好きじゃなかったりする人がいても、それはその人のスタンスとして正しいと思います。個人的にBLと文芸に境界を作るひとは苦手なので仲良くはできませんが、正しいと思います。
でも、勝手に分離しといて知らんがな!と思います。
BLが読みたいならこの世にいっぱいありますし、先生の小説が読みたいならいっぱい新作出てます。
両方兼ね備えたものが願って手に入るなら、わたしは今頃若宮家の分厚同人誌を溢れるほど手に入れてるしキス3とSLMの3年目を読んでるしスターゲイザーの次の同人誌を手に入れてますよ。
欲しいと思ってるけど、でも先生が書きたくないならわたしもいらないし、先生が書きたいものなら何でも読みたいです。

まあこの手の話はオタクのスタンスによって考え方変わるので、自分が納得してたら良いんでしょうけどね!(雑な放り投げ)
オタクとしてなにがしたいかじゃなくて読者としてなにができるのかを考えると自ずと路は開ける気がします。
あとは、先生方がいままで与えくれた優しさにどうやって応えるべきか…みたいな…。
恩返ししたいです。
だから口を開けてご飯を待ってる暇はないです。
というのがわたしの結論です。

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